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いまさら「涼宮ハルヒの憂鬱」(2008/3/4)

■i今頃になって感想と言うか感慨と言うか

 「マリみて」は原作は読んでるけどアニメはほとんど見ていない。

 「ハルヒ」は、アニメは見たけど原作を読んでいない。

 次期遅れな上に不完全な感想だが、このアニメは非常に良く出来た「学園もの」だなあと思う。

 「エヴァ」が非常に良く出来た「ロボットもの」であると同様な感じ。

 (自分にもよくある事ですので先に謝ってしまいますが、

 「自分が魅力的と感じた物を他社から既存の物に分類された時に感じる憤り」をお感じの方、すいません)

■お約束をお約束で

ジャンルファンの妄想の中の理想の学園ドラマを

「都合の良さで退かないように」巧くつくってる。ああいう感じの女の子、身の回りに何人かいたなあ。

「結局『ビューティフルドリーマー』でしょ?」とか言う年寄りがいるかもしれないけど

そう言う人はエヴァの時も「結局ガンダムでしょ?」とか言ってた人だから受け流してあげて。

 

■SFと学園物のささえあい

 「学園もの」というと、

 ・学校もの(教師視点の事が多く、生徒と教師、社会のふれあいと事件等を描く)

 ・生徒もの(主人公+生徒達それぞれが主人公になってドラマを展開)

 ・スターチームもの(主人公格数人のグループが中心となって事件解決や恋愛等のドラマを展開)

 ・・・とかが主なパターンだと思うのだけれど(もちろん重なっている要素はあるけど)

 上記のうちはじめの2つは現実世界の中の物差しで測れる程度の尺と素材で作られる事が多いが

 三つ目の奴は「活劇」の舞台として設定されがちな事から、次々と事件(それも結構な規模の)が

 起きて、それをうやむやにせず劇的に解決していったりしなくてはいけないという宿命がある。

 どんなに地味に始まっても、人気が出て話が進むほどその「現実との乖離」が大きくなる。

 

 それがまた面白さであり「物語性」のひとつというか「フィクショナル」の醍醐味な訳だけれど

 その「お約束」の部分を、お話丸ごと「SF」の仕掛けに落とし込む事によって

 「お約束」の「キャラ設定」や、「思春期特有の万能感と挫折を巡る通過儀礼の繰り返し」を

 堂々と、しかもかなり面白くやりきってしまっているなあと感心するやらうらやましいやら。

 

・・・って、いい年してこの駄文は何かと言うと、

・・・いや、みんなの気持ちわかってきた。長門かわいいよ長門。